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2020/07/18

奈良時代に天皇へ海産物の定期便 出土木簡から解明

スタッフ発信のブログです!

 

奈良時代には、愛知県三河湾に浮かぶ三つの島からサメやスズキ、タイなどの海産物の加工品が、天皇へ捧げられる「贄(にえ)」として奈良の都まで運ばれていました。

近年、奈良文化財研究所(奈文研)が平城宮跡などから出土した100点を超える荷札の木簡を再調査し、三つの島が規則的に毎月交代で天皇に海産物を捧げるシステムが存在した可能性の高いことが分かってきました。

こうした木簡の情報に加え、出土した遺構や年輪年代学の成果などを総合的に調べた結果、木簡に記されなかった年代までも明らかになりつつあります。

奈文研の山本崇・上席研究員(日本古代史)が、この春に創刊された論文集『奈文研論叢(ろんそう)』第1号で発表しました。

 

 

 

贄の荷札木簡116点が出土

奈良市平城宮跡平城京跡などからは1960年代から、「参河(みかわ)国播豆(はず)(芳豆、芳図)郡」で始まる佐久島(さくしま)(析嶋(さくしま)、愛知県西尾市)、篠島(しのじま)(篠嶋(しのじま)、愛知県南知多町)と日間賀島(ひまかじま)(比莫嶋(ひまかじま)、同)の 3島の名前が書かれた贄の荷札木簡116点が出土しています。

 

 

 

「参河国芳図郡比莫嶋海部供奉九月料御贄佐米六斤」と書かれた木簡(長さ202ミリ)(左)    赤外線(右)=奈良文化財研究所提供

 

 

 

 

「〇月料御贄」という共通の文言とともに「須々岐(すずき)」「佐米(さめ)」「鯛(たい)」「赤魚」など魚の名前に続き、「楚割(すわやり)」(細く切って干したもの)などと記されています。

 

この木簡群には、

①贄を負担する主体が「国(こく)・郡(ぐん)・里(り)(郷(ごう))」と呼ばれた律令制の地方行政組織でなく、3島を拠点とする「海部(あまべ)」という集団であること。

②個人名はほとんど記されない。

③貢進年は1例を除いて記されない。

という特徴がみられます。

 

海部は、律令制度飛鳥時代後半に導入される以前に、大王(天皇)家や豪族に隷属し、海産物の貢進や海上交通などに従事した労働集団とされ、このような古い方式が用いられたようです。

 

 

 

 

 

 

 

閏月も含めて析嶋と篠嶋が毎月交互に貢進

これまでの学説では「析嶋は偶数月、篠嶋は奇数月に貢進し、それ以外に比莫嶋の担当や例外もあった」などと理解されてきました。

しかし、山本さんが木簡群を詳細に再検討し、聖武(しょうむ)天皇が在位した天平年間(729~749年)ごろには、閏(うるう)月も含めて析嶋と篠嶋が規則的に毎月交互に貢進した可能性の高いことが分かってきました。

比莫嶋の木簡の年代はさらに古いとみられ、聖武天皇皇太子になった714年をきっかけに、閏月も含めて3島の海部による毎月交代の貢進が始まり、途中から析嶋と篠嶋の2島交代に制度が変わったとみる仮説を唱えました。

 

制度変更の理由について、山本さんは奈良時代初めの717年ごろに地方行政制度である国・郡・里制が改変されたことに注目しています。

「里」の上に「郷」を置いた「郷里制」が創設され、比莫嶋が篠嶋郷に編入されたため、2島交代制度に変わったと推測します。

 

山本さんは「木簡研究のごく早い段階から注目され、多くの先学によって議論されてきたテーマに矛盾のない説明を与えることができた。

今後の木簡の出土にも注目したい」と話しています。

 

贄(にえ): 神や首長に海産物や鳥獣、果実などの生鮮食料品を捧げる制度。律令制導入以前からあり、律令制下で天皇の食膳に供される食料品として諸国から地方行政単位で進上された。

 

 

2020/07/13       朝日新聞  DIGITAL

 

 

 

 

 

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