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2020/06/20

崩れる都心回帰

 

新型コロナウイルスの感染拡大で、改めて人口密度の高い都市に住むリスクが浮き彫りになりました。

オフィスや高層マンション、集合住宅など、大人数を収容する建造物の多い都市部は「 3密」と呼ばれる状況になりやすいことが分かりました。

 

あえて地方や郊外に住みたいというニーズも出始めています。

 

一方で、都心部への人口集中は、住宅ローン減税や建造物の容積率緩和等、都市への居住を促す政策がもたらした弊害ではないかとの声もあります。

 

都心回帰の動きは不動産価格にどのような影響をもたらしてきたのでしょうか。

戦後の土地価格の推移と住宅政策から浮かび上がる「政策がもたらしたゆがみ」を考えてみましょう。

 

 

 

郊外への集住計画の象徴的な存在だった多摩ニュータウン。

1971年に最初の入居が始まりました。(写真:学研/アフロ)

 

 

 

国土の 3分の 2が森林である日本は、もともと可住地面積の少ない国です。

首都圏も例にもれず、湾岸部を埋め立てたり、山の斜面を開拓したりすることで、面積を広げてきた経緯があります。

 

中でも宅地造成は、第 2次世界大戦後の都市の発展と切っても切れない関係があります。

昭和 30年代( 1955~ 1964年)の 10年間に、東京都の人口は 500万人も増加しました。

住宅供給は大きな課題だったのです。

 

一方で、上がり続ける土地の値段が用地取得を困難にしていました。日本不動産研究所の幸田仁・主席専門役は「『土地は持っていれば必ず上がる』と、なかなか手放さない所有者が多かったことも、住宅不足を深刻にしていた」と、当時の状況を語っています。

 

1950年代から平成のバブル崩壊まで、土地の値段は多少の波はあるものの、ほぼ上昇を続けていました。

日本不動産研究所が長期でまとめている全国市街地価格指数の推移を見ると、55年から、地価がピークを迎えた 90年代までの間に、住宅地の上昇は約 70倍となっています。

 

同期間内の物価上昇が約2倍であったことを考えると、すさまじいペースで土地の値段が上がっていたことが分かります。

 

工場などの生産拠点が都市に集中し、大気汚染や水質汚濁といった公害が激しくなったことなどが、都市から人口が動く要因となりました。

東京を例にすれば「住める場所ではない」と、生活・消費の中心を山手線の外へと移し始める動きが出たのも、50年代でした。

 

こうした流れを受け、宅地造成の場所も都心から離れた地域へと広がっていきました。

 

同時に経済成長による勤労者所得の向上と生活様式の高度化に伴い、政府による持ち家政策も進みました。

 

1954年には住宅金融公庫の融資を利用する宅地造成事業も始まり、「ニュータウン」と呼ばれる団地が東京都心から 1~ 2時間圏内に造成されていったのです。

 

これが「郊外」の誕生です。

首都圏では東急電鉄や京王電鉄、関西では阪急電鉄、阪神電気鉄道というように、私鉄を中心とした鉄道網の整備も郊外の発展を支えました。

 

 

 

 

「生活者の視点」は建前

住宅供給体制の整備により、68年には総住宅数が総世帯数を上回る「一世帯一住宅」が実現します。

 

しかし、その後も住宅供給のペースが衰えることはありませんでした。

むしろ、加速していったと言えるでしょう。

 

その背景にあったのが住宅取得と景気浮揚の密接な関係です。

 

1972年には「住宅取得控除」が誕生していることからも分かるように、政府は家計支援を通じ、住宅取得を奨励し続けました。

 

「量は足りても質や広さが伴っていない」と、住宅の建設を進めていったのです。

 

政策の建前こそ生活者の視点に立ったものであったのですが、実態は経済優先の視点であったのは否めません。

 

異常な地価の高騰を解決しようとする動きよりも、この高騰をビジネスに利活用できないものかと、政府も企業も動いていたのです。

 

 

 

 

タワマンブーム

こうした動きの延長上で「土地の高度利用」の名の下に都心回帰の動きが起こります。

都心部で高層マンションの建設が増え始めたのです。

 

都心部の分譲マンションの歴史は 1950年代まで遡ります。62年には「建物の区分所有等に関する法律」が制定され、その法的位置付けが明確になりました。

 

資産性が確立されたことで、ローンを組んでマンションを買うことができるようになりました。

 

1970年には日本住宅金融公庫が分譲マンションへの融資を始めたことで、小さくとも 23区内でも持ち家が持てるようになりました。

 

年収の 6~7倍ものローンを組んで家を買う動きが出始めたのです。

 

しかし供給数が本格的に増加したのはバブル崩壊後、地価が下がり購入価格が手ごろになり始めてからです。

そして 97年に建築基準法が改正され、「タワマンブーム」に火が付きました。

 

この際、廊下や階段などの共用部分が容積率の計算から除外されたほか、容積率の上限が 600%まで緩和され、日影規制等も適用除外となりました。

 

超高層マンションが建てやすくなり、都心部のマンション供給戸数が増加し、ファミリー層の郊外から都心回帰の動きがますます強まっていったのです。

 

 

 

 

供給戸数を絞って価格を維持

都心回帰の動きと相まって、マンション価格を押し上げたのが不動産流動化政策です。

 

金融機関の不良債権処理に向けた規制緩和策やREIT(不動産投資信託)などの枠組みが整備されたことで、外国人投資家や国内機関投資家の資金が不動産に流れやすくなりました。

 

日本銀行のゼロ金利政策による流動性の供給も、利回りが相対的に高い不動産に資金が向かう構図を作りました。

 

70年代から脈々と続く、住宅ローンを通じた住宅取得促進政策もバブル崩壊後の景気対策につながったことは言うまでもありません。

 

住宅ローン減税の最大控除額は 99年度、587万円まで拡大しました。

第2次安倍政権が発足した 2012年以降も最大 400万円と、その枠組みはさほど変わっていません。

 

不動産経済研究所のデータによれば、都心部の新築マンション販売戸数は、13年の 2万 8000戸をピークに、足元は 1万 5000戸前後で推移しています。

 

デベロッパーは、供給戸数を絞ることで、販売価格を維持しようとしている状況です。

平均販売価格は約 7200万円と、購買力の限界と言われる 8000万円に近い水準での高止まりが続いています。

 

 

 

新型コロナウイルスの影響

さまざまな政策のてこ入れによって演出された都心部のマンションブームに、新型コロナウイルスはどのような影響を与えるのでしょうか。

 

「在宅勤務が常態化し、通勤に便利な都心部に住む必要がなくなった」「大人数が密集して暮らす高層マンションは、新型コロナウイルスの感染リスクが高い」「家族全員で家で過ごす時間が増えると、70平米のマンションでは狭い」──。

 

新型コロナの感染が広がり始めてから、都心部に住むことのデメリットが指摘されるようになりました。

 

過去を振り返ると「官製市場」とも揶揄(やゆ)される日本の住宅政策。危うさもはらむ中、都心部の住宅市場は転換点を迎えています。

 

 

 

2020/06/09   日経ビジネス

 

 

 

 

 

 

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